手書き文字から、「行為の軌跡」を探る針金アート

『行為の軌跡』制作者・荒井美波インタビュー

太宰治、夏目漱石、谷崎潤一郎といった文豪たちの原稿に綴られた直筆文字を、針金で再現した武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科の卒業制作『行為の軌跡』で注目を集めた荒井美波さん。活字によって印刷された書籍からは垣間見ることができない作家たちの思考の痕跡や執筆の軌跡を、原稿用紙に書き残された文字たちと時間をかけて向き合うことで追体験することを試みた荒井さんに、作品についてじっくりお話を伺いました。
Text: 原田優輝

きっかけは中学・高校時代に触れた古書の魅力

ー『行為の軌跡』が生まれたきっかけを教えて下さい。

私は将来広告関係の仕事をしたいと考えて美大に進んだのですが、3年生になって始めた就職活動があまりうまくいかず、早い段階でやめてしまったんですね。その時に、私はこれまでどんなことに魅力を感じてきたのかということを改めて考えたのですが、そこで思い出したのが、中学・高校時代に買い集めていた古書やマンガの魅力でした。これらの本には、色んな書き込みがされているのですが、そこから前にこの本を持っていたのがどんな人なのかということを想像するのが楽しくて、面白い書き込みがしている本などを集めるようになりました。また、4年生になり、大学の美術館で開催された『近現代のブックデザイン考 I』という展覧会の手伝いをする機会があり、そこで美しい日本の書物に触れたことで、自分が書物に魅力を感じていたということが確信に変わりました。以前から、人とモノの関係への興味が強かったこともあり、人間の書き込みという行為に着目し、活字の奥にある人間性のようなものを視覚化したいと考えるようになりました。

小林多喜二の原稿をモチーフした作品。赤字による修正も忠実に再現されています。

ー大学の卒業制作で発表した作品では、文豪たちの原稿にフォーカスし、彼らの手書き文字を針金で再現されましたが、こうした表現方法に至ったのはなぜですか?

まず、直筆原稿に目をつけるようになったのは、やはり『近現代のブックデザイン考 I』の経験が大きかったと思います。最初は、古書に書かれた知らない人の書き込みを再現することなども考えましたが、やはり多くの人が知っている対象を取り上げ、その原点である原稿に注目し、その作家の人間性を考えていくことにしました。手書きの文字には、書き順という活字にはない魅力があり、それを視覚化する際には、時間軸を表現しやすく、また見た目にもインパクトの強い針金を使うことにしました。作家が苦悩してその作品を書いた痕跡のようなものを追体験していくことを目的に、一本一本の線を感じながら、手書き文字を立体化する作業を進めていきました。

ー題材を選定する際には、やはり色々な作家の原稿をリサーチしたのですか?

はい。もともと私は谷崎潤一郎が好きだったのですが、谷崎の字は丸文字だったりして、そういった意外な発見が非常に興味深かったです。句点の書き方や文字の直し方などからも作家の個性が見えてきて、例えば夏目漱石は修正をする時に、その箇所を丸で囲って斜線を引くだけなのですが、谷崎は絶対に修正した箇所に何が書かれていたのかを人に見られないように、真っ黒に塗りつぶすんです。また、作家の原稿の中には、編集者が読みづらいだろうなと思うようなものから、島崎藤村や小林多喜二のようにきれいに清書されたものまで色々あります。針金にすることを考えると、やはり清書されていない原稿の方が生々しくて良いのですが、三島由紀夫などはもともと達筆なのでとても綺麗で、また同時に生々しさも感じられて、ちょうどその中間をいっているような人でした。

こちらは北原白秋の原稿を再現した修了制作の作品。

一日に制作できるのは原稿用紙2行分

ー大学の卒業制作の時には、全部で何作品つくったのですか?

8作家10作品です。この時は、すべて黒い針金を使用したのですが、初めての制作だったこともあり、針金を曲げたり潰したりする際に生じる私自身の痕跡が残り過ぎてしまいました。私にはそれがノイズに感じられていたので、今回の大学院の卒業制作では、塗装されていない針金を選び、私の手跡があまり出ないように心がけました。また、前回はやり切れなかったインクの濃度、筆圧も今回はしっかり表現したかったので、光の陰影がわかりやすいということも、塗装されていない針金を選んだ理由になっています。

筆圧の表現にこだわった修了制作(下)では、塗装されていない針金が使用されています。

ー筆圧には、作家の感情や苦悩、生々しさがより強く現れるのかもしれませんね。また、今回の大学院の修了制作作品では、「詩」の原稿を題材にしていますが、文学とは違う点は何かありましたか?

詩というのは歌になることもあるし、声など文字という枠を超えて広がっていくところがあり、作家の思考がさまざまな形に変化していくという特徴があると思います。そうした詩の特徴を表す象徴的なものとして、今回は大学の校歌も題材のひとつにしています。また、詩には、作者の体験というものが、文学以上に日記的な言葉、文字として綴られているところがある気がします。例えば、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、彼が闘病中に書いたものなので、字がブレていたりするのですが、そういう個人の体験がより顕著に現れるのが詩なのではないかと思っています。

詩の原稿に着目した修了制作『行為の軌跡Ⅱ』。4月6日から4月30日まで武蔵野美術大学美術館で展示されています。

ー作品制作の過程についても教えて下さい。

対象とする原稿を決めたら、そのレプリカをスキャンしてデータ化し、トレースなどのために複数枚出力します。そして、台になる板にヌメ革を張り、原稿用紙のマス目を手で掘っていきます。そこからは、出力した原稿をもとに針金で文字をつくっていくのですが、私は右利きなので、原稿用紙の右上からつくっていくと、制作過程で針金が折れてしまうんですね。だから、作家が書く順番とは逆にページの終わりから制作していきます。400字詰めの原稿用紙の場合、一日につくることができる文字は2行程度なので、急いでも一枚分つくるのに3~4週間ほどはかかります。

ーお手本となる文字を筆書きしていく臨書とは違って、荒井さんは針金で文字をつくっているわけですが、両者にはどんな違いがあると思いますか?

やはり大きな違いは時間ですよね。臨書のように文章を流しながら見るのではなく、一つひとつの文字に30分から1時間ほどの時間をかけて対話をしていくということが最も違う点だと思います。そうした作業をしていると、その作品が自分の中に深く入り込んでくる感覚があり、どんどん愛着のようなものが湧いてくるんです。ただ、谷崎が原稿用紙を黒く塗りつぶすように修正していたように、そこまで原稿を見つめていくということは、作家に対して失礼な行為になるのではないかという感覚がありました。だから、文字をつくる時は作家に敬意を払う意味でも、音楽やパソコンなどはすべて消すようにしていました。また、机の上の作業だけにならないように、作家の原稿に関する文献に目を通したり、作家が住んでいた家やその周辺を歩いたりと、できる限りのことをするようにしました。

思いが先行している手書き文字が好き

ー荒井さんは普段から文字を手書きする機会というのはあるのですか?

書道などをしていたわけではないので、字はきれいではないですが、家族や友人に宛てた手紙はよく書く方なので、私にとって手書きというのは割と身近な行為です。中学の授業中に友達とやり取りしていた時の手紙なんかもいまだに全部取ってあります。手書き文字というのは、その時のその人というものを感じられるものだと思うし、例えば、亡くなった人が遺した手紙を見ることで、その人が生きていたんだということを実感できたりします。

ー荒井さんが魅力的に感じる手書き文字というのは、どんなものですか?

やはり生々しさがあるものですね。綺麗に書かれた原稿用紙というのも手元にあるとうれしいと思いますが、修正の跡が多く見られる原稿用紙なんかを見ると、「こんな偉大な作家でも間違えるんだ」「この人は良い人だったんだな」ということを感じます。手紙にしても、全体的にカッコつけて書いているなということを感じるものってありますよね(笑)。それはそれでいいのですが、悩みながら書いているうちに、スペースが足りなくなって最後の方の文字が小さくなってしまっているような、思いが先行しているものを見ると、凄く良いなと感じます。

室生犀星

高村光太郎

ー最近はパソコンやモバイル端末などで文字を入力することがほとんどなので、文字を書く機会がどんどん失われているように思います。そうした状況に対しては、何か思うことはありますか?

この作品で直筆文字に着目していることも、いまの時代だからこそ意味があることなのだと思っていますし、当初は、いまだからこそやらなくてはいけないという使命感がありました。別に活字を否定するわけではないですし、デジタルによる情報としての文字もどんどん増えていくと思いますが、そういう状況に対して、一度原点に戻ってアプローチすることが大事なのではないかなと。また、時間に余裕がある学生時代に、自分の手の痕跡というものをしっかり残せるような作品をつくりたかったという思いもありました。この作品に触れることで、本を読むということや文字に触れるということに対する意識が少しでも変わったり、そこから何か新しい考えが生まれたらうれしいなと思っています。

ー『行為の軌跡』は今後も続編をつくっていくつもりなのですか?

そうですね。この春から社会人になって新しい生活が始まるのですが、この作品については、自分のライフワークとして長いスパンで取り組んでいきたいと考えています。『行為の軌跡』は、自分の居場所というものを強く感じられる存在で、自分が辛くなったり、悲しくなったりした時ほど手が動くんです。だから、これから社会人になってつくる機会が増えていくかもしれません(笑)。当初の制作意図や目的とは少し変わってきているという実感があって、いまは生活の一部になっているので、自分の時間を整えていくためにも今後もつくり続けていくんだろうなと思っています。

Information
荒井美波の修了制作作品も展示されている『平成26年度 武蔵野美術大学 造形学部卒業制作・大学院修了制作 優秀作品展』が、4月6日から4月30日まで武蔵野美術大学美術館で開催予定。

TYPE Q&A

Q. あなたの好きなフォントBEST3は?
A. 筑紫オールド明朝
Q. "タイポ買い"したプロダクトはありますか?
A. 萩原恭次郎『死刑宣告』
Q. 自分をフォントに例えると?
A. 難しいです。
Q. もし遺書を書くとしたら、どんなフォントを使いたい?
A. 直筆
Q. あなたにとってタイポグラフィとは?
A. 呼吸と思想の拡張

荒井美波

1990年東京生まれ。2012年平成24年度武蔵野美術大学卒業制作 優秀賞、2013年MITSUBISHI CHEMICAL JUNIOR DESIGNER AWARD2013 佳作受賞。 2014年にTRAUMARISで個展『Trace of Writing』を開催。 2015年、平成26年度武蔵野美術大学大学院修了制作 優秀賞受賞。一青窈『紙重奏』に作品提供。